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クリエイティブが田植えをしたら



遡ること2010年、オフィスでの田植えが行き詰まり、育たない、実らない、泥に埋もれてしまっていた時、世の中は名声や富、賞が実績を飾っていた

 

しばらくの間もがき考えて、ようやく小さな田んぼをどうすればよいか見えて来た。野菜の水耕栽培をしようと考えるようになったのだ。簡単なものから始めよう。道具もあるし、それほど難しくないだろう、と。しかし実際は、簡単なものなどなく、賢くもなっていなかった。そこで分かったのが、良い方法とは、出来る限り有機素材で作るべきだということ。早速野菜の有機栽培について学び始めた。



森林及び野生動物保護の仕事をしてきた義兄(チャンエーク・タンスブット)と未耕作の土地を前に、食べるもの全てを自分で育て、育てたもの全てを食べる、という父親がしてきたことをやってみたい、いっしょにやろう、ということになった。

 

義兄の土地と彼が学んできたこと、そしてマーケティング知識を備えた広告クリエイターという自分が合わされば、この田んぼを賃料を無駄にすることなく、収穫をして収入につなげ、清潔で安全な米を父母や家族に食べさせることが出来るだろうと考えた。


そうと決めたら行動を起こす。


苗を手に取り、田んぼの中に落としていく。鍬を担いで地面に穴を掘り、植物を植えていく。田んぼの中にいると、解き放たれ自由になれた。

 

四方を壁で囲まれた狭い部屋で、一日中会議に明け暮れていた時代から、バナナの幹や運河、ラテライトの土に棲む鳥やネズミ、ミミズへと変わった。しかしそこまで積み上げてきたものが、2011年に発生した大洪水で、全て水の中に沈んでしまった。



水が引いてから、復旧作業を進め、再び米の栽培を始めた。田んぼに合った品種を探すのに、何度もいくつもの田んぼで失敗した。米の有機栽培に関する全てが科学、すなわち、品種の選択、植えるタイミングや方法の選択、栽培方法、世話、収穫、精米、保存、それぞれの工程全ての科学と言えるのだ。

 

今日言われる、「足るを知る」とは、足るように生きよ、ということだ。消費の世界から田んぼに身を移し、歩きも走りもしない。全てをあるがままに。自分たちで食べる分だけ食べ、使う分だけ使う。余った分を売る。自然を繰り返し傷めつけることをしない。考え方を周囲にも広め、有機農業をやりたいと申し出てくれるところが世帯が地域から出て来た。これだけで、幸せに呼吸するのに十分だと思う。


 

ライター

チャッチャイ・ブンヤプラパッソーン

農家 スワン・チュムジャイ農園



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