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「発展」



旱魃や洪水で農家が農作物の被害を受けたというニュースをテレビで見るたびに、嘆息する。タイの農業の発展への道のりは、まだまだ遠い。もちろん、「発展」という言葉自体に、「終わり」という意味はない。しかし、今日のタイの農業がどこまで進んだのか、正しい方向を歩んでいるのかどうかを考える時、大いに疑わざるを得ない。


タイの農業は何かが足りないのでは?こんな疑問が僕の心の中に湧き上がってきた。しかしその当時は、その疑問は解決されずにそのまま残っていた。そして、ある時、機会あってある地方の県へと出かけたることになった。そこは、旱魃や洪水のニュースでテレビでたびたび目にするところだった。


目的地までの移動中、窓辺の外に目をやると、農業最盛期らしく道の両端の運河には水が満ち、道路に沿って勢いよく流れていた。その後、田畑や果樹園へとそれぞれに枝分かれして水は流れていく。全てが濃い緑に包まれたその光景を見られたことに、僕は幸せを感じていた。



しかし、それらは僕が見た全てではなかった。突然夢から覚めた瞬間のように、ほどなくして、僕はそれらとは正反対の光景を別の場所に見ることになった。


そこは見渡す限りの乾いた土地。前述の緑で覆われた地域よりも広く、水が満ち溢れた運河など無く、線の細い川がいくつか筋になって流れているのみだった。栽培されている農作物もその状態に相応の成長をしているだけであった。もう見るのを止めようとそこから目をそらし、車中に視線を戻した。何というか、見れば見るほど暑くなるような気がしたからだ。


旅行が終わっても、僕は、あの乾いた土地の光景が、寝ても覚めても頭から離れなかった。


ごく近い距離の範囲において、なぜ天と地ほども違う土地が出来てしまうのか、自分自身に問いかけた。もともとあった疑問に旅行の時に出来た新しい疑問が合わさり、僕はある行動に出た。


家に着いてから、あのような異なる土地を生み出す原因を探した。その結果、農業用地は、「灌漑区域内農業用地」と」「灌漑区域外農業用地」に分けられることが分かった。すなわち、前者の区域では、水をシステマチックに管理し保全する仕組みがある。そこで僕はすぐ、両者は灌漑用水の敷き方から水門まで異なっていることに思い至った。そして、深く調べていくと、灌漑区域外農業用地の方が、何倍も多く存在することが分かった。


答えにたどり着いて、僕の疑問は晴れた。しかし代わりに、不安が大きく膨らんだ。なぜそうした水を管理する仕組みが普及せず、雨がたくさん降る地域にもかかわらず、暑季の旱魃に備えて水を蓄えておくことができないのか。農業をする上で、水は基本である、ということなど誰でも知っているのに、その土地の構造は、現在に至ってもなぜ放って置かれたままなのか?灌漑の仕組みだけではない。電気や電話、道路、インターネットといったインフラについても、首都にほど近いところにある地域であるのに、供給が滞っているという残念な状況にある。永続的な農業について社会で考える時、率直に言って、こうした基本的インフラが整っていなければ、どんな仕組みがあってもなし得ることができない。


考えて見てほしい。どんなに良い収量の見込める品種を選んで栽培したとしても、雨水のみに頼るばかりで水を十分やることができない、電気が通っていない、良い道が整備されていない、という状況で、収穫物を運搬したり、外部の人に旅行がてら農家の産直有機農産物を購入してもらったりしようにも…農家はどう発展させれば良いのだろうか。農業を生業とする人々が、基本的インフラが整っていない状況で、十分な収入をどう得られるのだろうか。永続的な農業や有機農業をどう始めれば良いのだろうか。


 

ライター

ピアンチャイ·マークミー

フリーライター



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