自分自身、なぜこのような、今のような人生を送っているのか、常に振り返って考えている。自分を構成しているものとは何なのだろうか。自分が思い描いていた形での幸せをみつけるために、人生の変革期に来たときに、どう人生を送ったら良いのだろうか、と考えるのはごく自然なことだろう。次の段階としては、自分の人生を長く続けていくための、身体と心、信念のバランスが取れた状態を手に入れるにはどうするべきなのか、ということだろう。本コラムでは、読者の皆さんといっしょに皆さんの人生のストーリーを集めたいと思う。今回は、標準的な書くという作業の仕組みに基づいたシンプルなものではない工程かもしれない。しかし、つなぎ合わせてみようと思う。
人はどうやって大きくなるのか?
私が育った家庭は、母が看護師・先生。父親が大学で公衆衛生を専攻し、統計学を教え、80年代の教育評価を担当していた。父は何事にも秩序立てて計画的かつ真面目、しかし踊るのが好き(隠れて子どもの前で踊っていた)、母は自由で楽観主義者、大らかで、恥ずかしがり屋という両親に育てられた。まずこれが、私の1番目の主要な構成要素だと言えるだろう。
成長過程で覚えている、今の自分を作り上げているものとは?
2つ目の構成要素は、現代医学の形からオルタナティブまで、様々な方法で健康に注力するということだ。子どもの頃、母がケアしに行っていた人々の健康を良くするように自分ではつなぎ合わせることはできなかった。しかし総じて、どの仕組みについても反対する気持ちにはならなかったし、父も全てにおいて母を応援していた。洗車して、健康についてのデータを収集するために共に出かけていく。村をまわって、HIV患者の癒しのために瞑想するなどの母の活動も待っていた。これらの活動は、私も子どもの頃から一緒に参加していた。座って待って、聞いて、共に行う…私はこのような過程を経て成長し、そして、バンコクに進学のため村を出た。
3つ目の構成要素は、料理をするということだ。両親、伯母、祖母らと常に料理をして育った。材料を洗い、潰し、切り、炒めてカレーなどを作る。このため、私は、朝食を食べた直後に昼食について、昼食を食べた直後には夕食について考えてしまうほど、食べることが非常に好きな人間になった。
建築家という我々の職業は、他にも同じような人がいると思うが、非常にきつい仕事をしている。身体の限界を超えたことが何度もあるくらいだ。そして、自分の体や心、魂を労わって行動に移すようなことはなかったのだ。自分の心と体を以て、社会の他の人のために何かをするということの方が多かった。社会の問題の方が大きく、解決に急を要すると感じていたからだ。しかしそれは、私の間違いだった。
月日が過ぎれば、人はみな、年を取る。それが事実だ。身体もあちこち傷みだし、何年も人生にパワーを感じなくなっていった。自分の事務所を開設した後2年目ごろから、ストレスの多い、睡眠不足となり、食べることには無関心でケアをしなくなった。友達と話すこともなくなった。これらは全て、私自身を弱らせたものである。以前のように打ち込むようなパワーがない。少しずつ、ゆっくりと、気付かないうちに私の魂をかじり取りとっていった。そしてある日、私自身、呼吸を止めたい、と思うほど落ち込んでしまう事態になった。どこからパワーチャージをしてらいいのか、もはや分からなかった。しかし、その当時の人生における信念や信仰といったものに対する信念によって、パワーが集まり、振り返りをすることができた。人生の構成要素を集めて、ひとつにまとめることで、現在のような人生を選択することができたのだった。すなわち、両親や伯母、祖母たちと台所で料理をして食べていた時のような人間に戻ったのだ。生活に必要な材料の95%は、どこで誰が作ったものなのかたどることができるものだ。化学物質が使われない安全な食品があるという安心感によって、焦らず快適な状態で、調理をすることができている。何も考えずに、様々なセンスを用いて味付けをする。小さい家庭菜園で、料理に良く使うハーブを育てるようにもなった。
人生のパワーを再び取り戻し、信じる仕事を長く続けられるようになったと証明することができた。自分が常に理解しておかなければならないことは、意志を以て食べるということ。料理をして食べたものは、自分にとってどう良いものであり、自分の周りのものにとっても同様にどう良いものであるのか、常に自問する。バランスを取ること、これこそがこの話の答えになるだろう。食べることは、我々を良くしてくれる唯一のものではない。食べること、料理すること、自分自身や自然をリスペクトする行動こそが、我々に再びパワーをもたらしてくれるものなのだ。
最後に、設計者が最も考慮するべきこととは、生活の質を設計するということ。エネルギー源になる良い食物を食べ、地球にとって良いことをする。しかし、行動を起こさなければ、それらのエネルギーを安全な素材から創り出そうとしなければ、それは絵に描いた餅なのだ。そうではないだろうか?
ライター
ガサマー・イェームトリー
コミュニティーアーキテクチャー
Comments