イスタンブールは、トルコの主要な港町であり、アジア大陸とヨーロッパ大陸両方にまたがっている。古くからの文化が息づく美しさ、キリスト教の教会を改造した巨大なモスク等の建築物、様々な商品が取り揃えられた市場、話好きな人々…これらは世界各地の人々の心を掴み、実際にイスタンブールを訪れその魅力に触れて見たいと誘っている。
トルコとアメリカの関係悪化や慢性的な景気低迷により、トルコリラの価格が下落し、かつての1リラ十数バーツから現在は5バーツ強まで下がり安くなった。トルコの人々にとっては辛いことだが、我々旅行者には好都合となっている。
今回の旅行で、イスタンブールはスローライフを好んでいるということが分かった。ヨーロッパ側、アジア側の双方で見られたのが、カフェである。カフェが非常に多い。チョコレートと水とともにコーヒーがサーブされ、1日に4回以上もコーヒーを飲みに行くというトルコ人もいるというから驚きだ。ある日、背の低いテーブルといすを道端に出してカフェを営む店でブラックティーを飲んでいたら、ほどなくして左側のテーブルの男性が、買ってきたお菓子を一緒に食べないかと誘ってきた。私が味見をさせてもらうよりも先に、すぐさま右側のテーブルの男性が自分にも味見させてほしい、と応じるというシーンを目の当たりにした。トルコの人々が非常に友好的で可愛らしいことを示す一幕であった。
さて、オーガニック食品について、50代のヌーレーというトルコ人女性に話を聞くことができた。彼女は、イスタンブールのオーガニック食品を食べるというトレンドについて、笑いながらこう答えた。こんなに景気が悪かったら、普通の人はオーガニック食品なんか食べないわよ。価格がとても高くいから買えないもの、と。でも全く売っていないというわけではない、とのことだった。
オーガニック食品を購入するには、ミグロススーパーマーケットのような特別なスーパーマーケットでなければならない。ここには、有機農業産品しか並んでいない。しかし価格は一般の市場に比べて非常に高い。従って、こうした店で買い物ができる客層と言えば、ある一定の経済力がある層でなければならない、そうヌーレーは話してくれた。
実際に生鮮市場やスーパーマーケットを見て回ってみると、違いが明確に見て取れた。ミグロススーパーマーケットの野菜や果物の状態は、見た目に美しくなく、カリフラワーは紫に変色し欠けている。あちこちに虫に食べられた跡があるのだ。対照的に、生鮮市場の野菜は、タイのものの倍以上もある、ふくよかで表面に艶があり、色も鮮やかで美味しそうなトマトなどがあった。しかし価格を見て見ると、なぜこんなに安いのか、驚きの価格だった。これについて、再びヌーレーに質問してみたところ、ヌーレーは、それはオーガニックではない、オーガニックであるならば、そこが売りなので、表示もしっかりあるはずだし、価格ももっと高いはずだ、と答えた。
率直に言って、選べるのであれば、農薬に汚染された素材を食べたいという人などいないだろう。しかし、経済的な事情から、多くの人々は選ぶことができない状況だ。これはここイスタンブールに限ったことではない。以前、ベトナム人にオーガニック商品について質問してみたところ、同じような答えが返ってきた。同じことをタイに置き換えて見ても、タイの田舎の人たちもさして違わない答えをするだろう。これは、国の経済状況が、国民の生活状況に大きな影響力を持つためだ。アメリカや日本のような経済大国を見て見ると、特にオーガニックと示すまでも無く、ほとんどが有機農業のものになっているのが良い例だ。
有機農業の仕組みを生み出すには、最終的に国の発展と共に歩まなければならないのだ。経済の仕組み、公共事業の仕組み、交通ネットワークといった全てが共に発展していかなければならない。
我々は、いつの日か、タイの生鮮市場やスーパーマーケットでも、敢えてオーガニックという但し書きを付けて区別する必要のない、全てが無農薬のもので埋め尽くされている、という状態になることを期待し続けるだろう。
ライター
パーラニー・ルートワタナーソンバット
フリーライター
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