前回の話より続く。プラチンブリーにおいて、患者や医療関係者の主導する、食事や素材を通じて持続性を持つ地域をつくろうとする努力についてお読みいただいた。しかし、声を大にして言いたい。ここは、病院や患者であるから安全な食事や有機素材を摂ることができる権利を有するのでは無いのだ、と。
この小さな県の偉大さを認めなければならない。民間も参入して、安全な食事を確保している。チャオプラヤー・アパイブーペート病院での担当者とのアポイントメント時間より2時間も早く到着してしまったため、プラチンブリーに来たなら行くべきだ、と言われている「バーン・ラオルアン」まで車を走らせた。
車を止めると、そこには名家の古民家と思われる建物があった。改造して博物館になっており、何か古いものが収蔵されているのが分かった。この家は、築80年を超える瀟洒な建物で、昔流行った人気時代ドラマの『ワニダー』の時代に思いを馳せる。大きな木があり、芝生は手入れが行き届いている。ここにもプラチンブリーの歴史が詰まっているのでは、と予想したが、間違いではなかった。少数民族が国境や近隣国から移住してきたため、この地にミックスした文化が生まれたのだという。ここのマネージャーであるピー・ポムことアマラー・アーカマーノンさんにお会いして、季節ごとに変わるメニューの料理をいただいたことは、さらなる興奮だった。
これこそが、私をここに導いたとも言えるだろう。川に面したこの家の後部をレストランとし、全てのメニューは無農薬素材で作られている。素材の検査はチャオプラヤー・アパイブーペート病院と協力して行われており、ピー・ポムは、使われている素材がそれぞれどこから来たものか、どんな効果効能があるのか、説明してくれる。そう、医食同源の発想だ。患者には薬草剤や安全な食事を治療のために使うが、バーン・ラオルアンでは、予防のためにメニューを考える。ここの料理、デザート、飲み物は、地域の有機素材により作られている。それはすなわち、季節ごとにメニューが変わるということで、いつ来ても同じものが食べられるということではないのだ。
バーン・ラオルアンについてもう一つ感銘を受けたのが、メニュー裏側にレシピが示されているということだ。企業秘密にはしない。ピー・ポムによれば、「自分で料理することでその準備や素材の洗浄などかが安全であるかどうか確実にわかり、最も安全が確保される。バーン・ラオルアンで健康や清潔について最大限の努力を払っていても、顧客がそれぞれ家に帰って良くないものを食べたり、料理ができない、素材を正し方法で洗えない、となったりすれば、
それでお終い。最終的には料理を作ることも食べることも、個人の責任において考えられるものだから」という。ピー・ポムはまた、残飯についても責任をもって活動していた。ここでは皿洗い用の洗剤や愉快掃除用の洗剤を果物由来で自家製しており、自分たちで使うほかに、コミュニティを通じて販売もしている。収穫をしてから、最後は肥料として土に返すという、循環全体について考えていると言えるだろう。
「バーン・ラオルアン 薬草のまちプラチンブリー」は、名家で商人であった裕福な家柄のピアムソンブーン家の家で、プラチンブリー市場の火事の後に建てられた。1950年当時でモダンな家だったのだ。末っ子のプラチャイ・ピアムソンブーン博士がチャオプラヤー・アパイブーペート病院に公共利用のためとして寄付した。ここで我々が感じたものは、人々やコミュニティへの愛情だ。公共スペースとして、ワークショップや講演会、アクティビティの開催に利用している。これらの活動は、地元プラチンブリーの市民のみならず、訪れてくれる外部の人の歓迎にも向けられたものだ。ピー・ポムによれば、ここは子どもの待ち合わせ場所にもなっ
ているという。両親が仕事で子どもの学校が終わる時間に迎えに行けない子供たちの図書館や宿題をするスペースになっているという。バーン・ラオルアンでは、ハーブジュースを用意して、子どもや出入りする人ののどの渇きを癒すこともしているそうだ。
これが協力して社会の価値を高めようとする活動の一部であるとすれば、バーン・ラオルアンは、小さな県の物語を伝承するという役割以上のことをしていることは明白だ。ここでは、自分の特性を活かしていずれかの分野に価値を持たせることが選択できる、という地点まで人間が到達したということを記録する、重要な役割を担っているのだ。コミュニティを潤滑させるものとは、待つのではなく、まず始めて見ることだ。それを真剣にやり続ければ、望んだどんな道でも最終的に良い方向へと行くと信じている。食物と互いにケアし合うことの関係、これは常に関わり合っている。この素晴らしい機会をありがとう、プラチンブリー。
ライター
ナタポーン・ピンペット
クリエイティブ/話し手
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