アパイブーペート#2:バーン・ラオルアン
前回の話より続く。プラチンブリーにおいて、患者や医療関係者の主導する、食事や素材を通じて持続性を持つ地域をつくろうとする努力についてお読みいただいた。しかし、声を大にして言いたい。ここは、病院や患者であるから安全な食事や有機素材を摂ることができる権利を有するのでは無いのだ、と。
前回の話より続く。プラチンブリーにおいて、患者や医療関係者の主導する、食事や素材を通じて持続性を持つ地域をつくろうとする努力についてお読みいただいた。しかし、声を大にして言いたい。ここは、病院や患者であるから安全な食事や有機素材を摂ることができる権利を有するのでは無いのだ、と。
プラチンブリーは小さな県で…えーと、タイのどこにあったか…正直に言おう、思い出せないと。プラチンブリーをタイ語や英語でどう綴るのかも分からない。そんな状態のまま、ほとんど何も知らないこの県に向けて出発したのだが、当然、道中はGoogleにお世話にならなければならなかった。
遡ること2010年、オフィスでの田植えが行き詰まり、育たない、実らない、泥に埋もれてしまっていた時、世の中は名声や富、賞が実績を飾っていた。しばらくの間もがき考えて、ようやく小さな田んぼをどうすればよいか見えて来た。野菜の水耕栽培をしようと考えるようになったのだ。
サワディーチャーオ!今朝はあなたのためにお仕事しますよ…そう、読者のあなた、多くの消費者の皆さん。冒頭のあいさつでお分かりですね、ほかならぬチェンマイからですよ~
38才という年になって、自分の人生の転換期になるとは思ってもみなかった…私はごく普通の人と同じように、ピジット県の中流家庭に生まれ育った。そんな県、タイのどこにあったかしら、と戸惑う方が多いかと思うが、北部下方や中部上
子どもの頃から大人になるまで、朝食は自分の好きなものばかりだった。朝食のメニューと言えば、卵、ほうれん草のチーズ炒め、ハム又はベーコン、パン又はパンケーキを2枚ほど、そして牛乳を1杯。果物をプラスする日もあった。
このソンクラーン(タイ正月)休暇に、アメリカを再訪する機会を得た。もともと旅先の市場歩きが好きな性分で、今回もサンフランシスコの有機農業の様子をしっかりとこの目で見て来たので、以下にシェアしたい。
30年前に遡り、自分が農家の家に生まれなかったなら、畑に囲まれた環境で暮らしてこなかったなら、朝起きて農家の日常を見ることが当たり前にならなかったなら、米を作り、野菜を育て、鶏を飼い、果物の木を植え、それらを収穫し、食事を作り、病を治癒するなどと、想像できただろうか?
「我々は、食べては残し、残しては棄てています。単一生産や量産を経て、料理には価値が無くなり、余りがちで、簡単に手に入ってしまうから。」
「ひとつぶの汗から、多くの家庭の安全な素材となる、ひとつぶの純粋な砂糖を作り出す」
文字を介して料理について語る、プレウことプレウパイリン・ブンシリさん。フードコラムのライターだ。ストーリーを語るだけでなく、プレウさんの紡ぐ文字により、料理に命が吹き込まれる。以下の7つの質問を通して、単に料理の話だけでなく、彼女について多くのことを知った。
フードフォトグラファーという仕事は、新規レストランやカフェにとって、SNSの世界で自身の店を人々に周知させ、流行を生み出すといった重要な役割を担っている。今回は都会のライフスタイル系WEBマガジン・BKKMENUのフードフォトグラファー、プローイことポーンニット・インターパットさ
広さ42ライ(注:1ライ=400㎡)のこの土地で、ブローカーという職業で何不自由ない暮らしが約束 されていた30歳のこの男性が、将来と都会の煩雑な暮らしに分かれを告げ田舎に戻り、「タマダーな」(注:タマダーは「普通の」の意)毎日を送ることを選んだ。しかしこのシンプルな
お菓子とは、特に女性にとって欠かせないものだ。しかしご存知だろうか?一人のふつうの男性が、スイーツ作りに恋をして、その夢をかなえるためにアメリカに渡り修行した。その後、ユニークで見た目に美しく、シンプルな味で、老若男女問わず、見た目でもその味でも幸せをもたらしてくれるお菓子...
医師とは、体の仕組みや人間の働きを理解する職業であり、医者や医療従事者による健康や様々な病気について書かれた文章を目にする機会がしばしばある。
この質問は今から外に食事に行こう、と誘っているものではありません。皆さんに立ち止まって考えてほしいのです。毎食の食事を、体調が整い、生活の質を良く保ち、環境にも良いものとするには、